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お召し列車とは?

正当な皇位継承筋である天皇・皇后両陛下や皇太子・妃殿下が、
公式・非公式問わず鉄道をご利用になる際に運転される特別臨時列車の総称です。

「お召列車」というば、少し前までは「日章旗」をつけて走る昔懐かしい客車列車(新一号編成)を思い浮かべたところですが、
近年は航空機や新幹線、一般営業車両をご利用される事の方が多くなりました。
しかしこれらも車両は違えど「お召列車」には違いありません。

総称で「お召列車」と記述しましたが、厳密に言うならば
天皇・皇后両陛下がそのご公務において地方へ行幸される時に運行されるのが正式「御召」列車で、
客車編成を用いる際は牽引機先頭に国旗が掲揚されます。もちろんこの時の列車番号は「御召レ」です。
これとは別に非公式にお出ましになられる(ご静養等)際の列車は正式には御召ではありませんが、
名称は異なっても実際の運行に当たっての取扱いは同じようです。

尚、旧国鉄時代は天皇・皇后陛下の列車が「御召」で、皇太子・妃殿下がご利用の列車は「御乗用」と呼んで区別していたとか。

車両

歴代お召列車は特別仕立ての専用編成で運転されてきました。
とくに天皇・皇后陛下がお乗用になる「御料車」は、その時々の最高峰の技術・美術・工芸が随所に配され、比類なき荘厳・華麗な車両であると言えます。
そしてこの「御料車」を中心に、宮内庁・鉄道局・警察関係者が乗込む一等・二等の「供奉車」が必要量連結されてお召編成が組まれました。(戦前は7両/戦後は5両ですが、御大礼の際などは12両にもなったといいます)
この特別編成はその外観もさることながら、走る御所の様ということで「宮廷列車」などと呼ばれることもあります。

そして、先にも触れました通り、近年は一般営業車両の列車利用もあり、
この場合も天皇・皇后陛下がお乗りになる「御料車」を中心として、その前後に宮内庁関係者、鉄道、警察関係者が乗込む「供奉車」で編成されます。この場合は営業編成の一部か全部を貸切とし、グリーン車等の一部座席を外して向い合わせのシート形状に変更して「御座所」とし、その車両が「御料車」になります。
また、営業車両の場合は外見上、一般と御召の区別がつかない為、関係者が一目でわかる様 先頭に独特のマーキングを施すこともあるようです。
また、供奉車の形式番号は等級を表し、
右図のような数字になっています。

供奉車の等級
0 0 0
上2桁は等級を示す 姉妹車の
識別コード
1等=3
2等=4
3等=6
現在の新一号編成に
例えると・・・
460号=2・3等
340号=1・2等
330号=1等
461号=2.3等

規程の今昔

お召し列車を安全且つ正確に快適に走らせるために、その時代ごと当局が定めた規程があります。
最初のものは明治45年1月15日に*達第13号で公示され、全文57条にも及ぶものでした。
次いで大正10年9月1日、達第709号にて「行幸啓または御成りの際に於る取扱の件」が追記、さらに大正13年10月3日、鉄運乙第3592号の乙「お召列車の際に於る警護及取扱方の件」として5項目が追加されています。
そして戦後は、一時大幅に規制緩和あったものの、昭和21年6月の達第303号・第304号で「お召列車の運転及び警護心得」・「皇太子及び同妃御乗車の場合に於る取扱いの件」にて、戦後の規程が決まり、続く昭和22年10月鉄運第396号で「お召列車の運転及び警護の取扱いについて」で改正され昭和29年8月1日にも改正あり、昭和40年8月16日運達第15号で現在の様になりました(4章60条)。
特にこの終戦を境にして、車両や環境の違いにより警備面や規制については変化がありますが、その基本的心構えは変わらないようです。


戦前のお召し運転規程

戦前の御召列車とはどのように扱われ、運行されていたのでしょう?
御乗りの方はご存知「現人神」であられたわけですから、当然のごとく全てにおいて最優先であり、運転には技術・安全・警備・景観ともに99.99%位の成功が要求されていた(罰則が無くともそういう風潮であった)といえるでしょう。
特にさながらの部分を抜粋すると

・列車が発着若しくは通過する駅においては、駅長の管理のもとに関係者以外の一般構内立入りを禁じ、また駅職員であっても必要外の者はプラットホームに出してはならない。<第4条>
但し規律ある団体による離れたホームからの奉送迎は善しとする。・・・とあり、つまり「関係者以外は誰もプラットホームに入ることは出来ず、また、立入りを許され附則にある「規律ある団体」とは学徒や軍人等の事だったようです。
では一般列車の往来は?-->該当する時間内は全て通過または離れた側線で待機、あるいは手前の駅で折り返し運転などして一般国民の乗降は一切無しという事だったそうです。
通過する駅においてはどうだったかと言いますと、
まず待避、或いは行違う一般列車は、直前に駅長または車掌より通告があり、御召列車が通過する側の窓を閉めずとも、覗き込むこと無きように(覗いてはいけないのだから写真は不可)<第38条>、という注意があり、また、側線・機関庫に駐機の機関車も、黒煙と汽笛は厳禁<第34条>。行き違う列車の速度は徐行程度であったといいます。

・戦前ですから牽引は当然蒸機ということになりますが、これについては相当に技術を要する難問がありました。
まずSLならではの迫力ある黒煙は、ことにお召しの場合は絶対タブーで<第32条>、かといって発車前に火を焚きすぎると蒸気圧が上がって安全弁が開いてしまいますがこれもダメだったのです。この為、条文中に最上炭を使うように指示があり、
また一部では熱量高く煙少ない煉炭の使用もありました(これが原因で蒸気不昇騰で発車出来なくなった事件があります)
汽笛は出発・到着時のみで走行中は厳禁。(これは今も引き継がれている)

基本規程と現在の規程

終戦時は連合軍の指揮下に置かれたこともあって一時的に規制が緩められましたが、先述の通り、昔からの基本をベースにした戦後規程が確立し、その厳しさは相変わらずです。